娘がようやく運転免許証を取る

■娘の運転で駅まで迎えに行くという。おや、免許を取ったと見える。先週末聞いたときには、
筆記試験に落ちたばかりだったが。二度目で合格したのか。何回目で取ろうが後は、
実地の経験あるのみ。
■その免許証にはオートマチックに限定すると記してある。あえてマニュアルで取ってみたらと
以前勧めたのだが、教習に使える車が少ないのか、圧倒的にオートマチックで取る人が
多いのか、世の流れに従ったようだ。
■でも日本の免許はどうしてこう細かく規制したがるのか、理解できない。親切だけれど、
よけいなお世話という気がする。確かにオートマチックだけだと、マニュアル式の車に
乗るときに、エンストやら坂道発進に手こずることは容易に予想が付くが、慣れの問題だろう。
■12月に教習場に入校したから、10ヶ月かかったことになる。長い間ご苦労さん。
これで行動の自由度が一段と増したことになり、本人が最も快哉を叫びたいところだろう。
■筆者は普通免許を取るために。今はなくなってしまったが、藤沢と藤沢本町の間に
教習場があり、そこへ通った。万事おくての筆者が免許を取ったのは27の頃だ。米国出張が
決まり、免許を取っておかないと生活できないぞと上司に言われたから。大げさな人だな、
でもこの際取っておくか位の気持ちで通うことにした。社会人になるまで、都内で暮らしていたし、
親も車を持っていないし、免許を取ることを考えたこともなかった。
■免許を取れば、うれしくなって誰しも車に乗りたくなるものだ。細いつてを頼って、
中古でカローラを購入した。もちろん免許は持っているものの、自由に乗り回す自信はない。
当時借りていた大和市のアパートまで運んでもらった。
■同僚のY君とある人のパーティに出かけたことがある。顔の広いY君が言うには、
彼は大金持ちで、しばしば若い人を集めてパーティをすることがあるそうだ。なるほど会社には
当時トヨタの最高級車センチュリーで通勤していた。あいにくパーティで出会ったはずの妙齢の
女性たちを全く思い出せない。覚えているのはただ一つ、帰り道助手席にいるY君の指示で
近道をしようと田舎道を通ったら、今にもぬかるみに入りそうで、こちらはひやひやだったこと。
■上司の言ったことは本当だった。当地はとにかくバスも国鉄もなく、移動する手段は
車のみの社会。最初の数日だけは通勤するのに同僚に送り迎えしてもらったが、こちらも
頼みづらくなり、自分で借りることにした。
■現地に一足先に行っていた先輩のTさんがレンタカーのオフィスまで連れて行ってくれた。
最近、つまりオイルショックを経た後と異なり、筆者の出張した1970年代はまだ大きいこと
はいいことだというのが世の中の考え。ピントとかいう、小型車はあることはあったが、
評判が悪かった。Tさんの薦めに従って中型車を選んだが、それでも排気量6L位はある
馬鹿でかい車だった。まだ慣れないだろうからと最初だけTさんが助手席に同乗してくれて、
市内を一回りした。一番困ったのは、車体の大きさ特に車幅の感覚がわからないことだった。
どこにタイヤが位置しているのかわからず、何度路肩に乗り上げたことことやら。
また運転席から車の先がどこまであるかつかめず、駐車するときどこまでつっこんでいいのか
いつもこわごわだった。
■(筆者独り言、当時の写真があったはずだが、あいにく手元に見つからない、今回は
写真はありません。)


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