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松籟荘■ショウライソウは前回に紹介したように、高砂緑地内にあります。「松籟」とは現代ではあまり聞き慣れないが、「松のこずえを吹く風の音」(学研国語大辞典より)の意味。ごらんのようにこの地は松林が多いので、ぴったりというところか。
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| ■松籟荘の中に、建てられた茶室・書院のことを松籟庵というのではないかと思うが、あまりはっきりとは使い分けられてはいないようだ。以下松籟庵の入り口、庭園、茶室等を写した写真です。こんな静かな場所がまだ残っているなんて不思議ですよね。一市民としては、いつまでも残して欲しいものです。長崎屋会長にも感謝。 | ||||||||||||||||||||||||||||||||||
平塚らいてうの碑■高砂緑地の林の中をを歩いていると、ぽつんと記念碑が有るのに気づく(下の左側の写真)。比較的新しい。中央の茶色がかった碑に近寄ると、「元始女性は 太陽であった 真正の人であった」の字が読める。平塚らいてうの有名な句だ。どうして彼女の碑が茅ヶ崎にあるの? ■その謎は、その右にある碑を読んで解明する。彼女の生涯の伴侶奥村博史とこの地で出会い、茅ヶ崎を「愛のふるさと」と偲んだとある。 当初「平塚らいてうを記念する会」としての発足は、1992年5月にはじまり以後「らいてう忌」の催事を例年ひらき、神奈川県茅ヶ崎市にらいてう記念碑も建立(1998)しました。(平塚らいてうの会) 「もし記念碑を建てるとしたらどこがいい?」との問いに、「それは茅ヶ崎ね」と言下に答えていました。(第2回 平塚らいてうの生涯と自分らしく生きること) ■女史は5歳年下の画学生奥村と出会い、入籍しないまま共同生活を始めた。思想だけでなく、私生活でも、なかなか先端を行く女性だったようだ。一方、奥村の方は今ではすっかり忘れられた存在。女史と仲のよかった女性との仲を若いツバメが裂いたということで、「若い燕」の言葉を残したくらいか。「20世紀B級ニュース」 |
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