湘南玩物喪志館 e-kanda.com


高砂緑地に遊ぶ(続き)-松籟荘と平塚らいてうの碑

トップページ
湘南の見える窓
湘南写真集
湘南あれこれ
玩物喪志の間
Computer
AV
二輪・四輪
その他何でも
形而下の部屋
床下(リンク集)
湘南風景
アクセスカウンター
相互リンク

松籟荘

■ショウライソウは前回に紹介したように、高砂緑地内にあります。「松籟」とは現代ではあまり聞き慣れないが、「松のこずえを吹く風の音」(学研国語大辞典より)の意味。ごらんのようにこの地は松林が多いので、ぴったりというところか。
■原は実業家で、元日本化薬会長。よほど大物だったようで、小さな親切運動の提唱者、仁科記念財団の理事、日本女子大の理事などにも名を連ねた。
■「若い時に、百万円儲けたということは、将来一億円稼ぐための経験にならないが、若い時に百万円損をしたことは将来一億円稼ぐための経験になる」というのが、原の残した言葉として有名。(「積分動作」より)

■左の写真が松籟荘の入り口。
■ただし原の作った母屋はもう残ってはいない。今あるのは、その後市が建てたものらしい。
「茅ヶ崎市在住の岩田孝八氏(元長崎屋・会長)の母親が亡くなられたときに、長い間、茅ヶ崎市にお世話になったお礼として、末永く茅ヶ崎に残る有形物にと1億円の寄付を受けたことにより建設し」松籟庵より。
■松籟荘の中に、建てられた茶室・書院のことを松籟庵というのではないかと思うが、あまりはっきりとは使い分けられてはいないようだ。以下松籟庵の入り口、庭園、茶室等を写した写真です。こんな静かな場所がまだ残っているなんて不思議ですよね。一市民としては、いつまでも残して欲しいものです。長崎屋会長にも感謝。
茶室の入り口 庭の向こう側に見えるのが、隣の図書館 こんな静かな庭園が今時残っているなんて不思議でしょ
池には鯉が泳いでいます
三重の塔です ここは梅の名所でもあります 園内の竹林 一茶だけ読めるが、他は何と書いてある?
これが茶室 出口

平塚らいてうの碑

■高砂緑地の林の中をを歩いていると、ぽつんと記念碑が有るのに気づく(下の左側の写真)。比較的新しい。中央の茶色がかった碑に近寄ると、「元始女性は 太陽であった 真正の人であった」の字が読める。平塚らいてうの有名な句だ。どうして彼女の碑が茅ヶ崎にあるの?

■その謎は、その右にある碑を読んで解明する。彼女の生涯の伴侶奥村博史とこの地で出会い、茅ヶ崎を「愛のふるさと」と偲んだとある。

当初「平塚らいてうを記念する会」としての発足は、1992年5月にはじまり以後「らいてう忌」の催事を例年ひらき、神奈川県茅ヶ崎市にらいてう記念碑も建立(1998)しました。(平塚らいてうの会
「もし記念碑を建てるとしたらどこがいい?」との問いに、「それは茅ヶ崎ね」と言下に答えていました。(第2回 平塚らいてうの生涯と自分らしく生きること

■女史は5歳年下の画学生奥村と出会い、入籍しないまま共同生活を始めた。思想だけでなく、私生活でも、なかなか先端を行く女性だったようだ。一方、奥村の方は今ではすっかり忘れられた存在。女史と仲のよかった女性との仲を若いツバメが裂いたということで、「若い燕」の言葉を残したくらいか。「20世紀B級ニュース
■というわけで、この緑地はいろいろ歴史の勉強を復習をする機会を与えてくれました。


トップページ 湘南の見える窓 玩物喪志の間 形而下の部屋 床下 郵便箱

このサイトはリンクフリー(アイコンはこちら)です。 ©2003,2004. 湘南玩物喪志館 館主. (mgr@e-kanda.com)